着こなし入門講座の開講(2008年)から、はや10年が経ちました。入門講座は、着付の技術だけでは、きものは着られるようにはなっても、きもの、帯、羽織などの組み合わせがわからない。つまり、きものをより美しく自信を持って着るためには、きもののセンスが必要だ、ということからスタートしました。その内容は、これまでは呉服屋さんなどに行って、自分の持っているもの、以前作ったもの、それらを総合的に勘案し、「お見立て」をしてもらいながら得ていた知識やセンスです。
入門講座で最初に驚いたのは、第一期生が修了するや否や、「続編は?」と言われたことです。嬉しい反面、期待とノルマを背負うことになりました。執筆そのものは、本業の所信を書くわけですから、暇さえあれば良いのですが、専念できない事情がありました。それは、弱小零細企業であるがため、競争力の基盤であるIT技術の更新を自助努力で行わなければならないこと。多くの続編待望者には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
次に驚いたのは、生徒が提案した「着こなし」に圧倒されたことです。ある日の授業、ローケツ染めの着尺は紬などの長羽織用にと思い、染め上げ仕入れた商品でしたが、それをいとも容易く長着にし、その上に紅型の染帯を合わせていたのです。「羽織の柄を長着にするなんて……」と心の中で呟きましたが、これが渋さと大胆さとで見事に調和していたのです。また、白山紬に山水調の墨絵を染め上げた訪問着に泥金の袋帯を合わせたコーディネートを目にしたのです。紬の訪問着ですから、豪華ではなく素朴という領域にある袋帯、となると金銀なしの艶消しのお洒落袋が相場と思っていたのです。それが「白っぽい墨絵の訪問着」と「黒地に泥金を織り込んだ袋帯」が、漆工芸にある象嵌のような輝きを放っていたのです。思い出せば今でもゾッとする「恐るべし女の感性」。長年の自負心が打ち壊されたのです。
当きものカルチャー研究所の講義やテキストは、少々理屈っぽいけど楽しいと言われます。それは、他の学院のように学者の書いた教科書ではないからです。学者の書いた教科書は、史実に基づき権威もあるでしょう。でも、面白くも可笑しくもないのです。その点、このテキストは、血と汗と涙を流し、販売の最前線で戦うセールスマンの言葉「決め台詞」で満ちています。すなわち、おカネを払って買うだけの知識とセンスが凝縮されています。ですから、たとえ拙著といえども、必ずや読者の心を射止め、役立つ自信があるのです
このテキストを執筆するにあたり、今日、ここまでご協力いただき、また、日夜お教室を通してご尽力いただきました各お教室の講師の方々には、利害を超えてご支援を賜りました。深く御礼申し上げるとともに、これからもきもの文化の発展に寄与くださいますようお願い申し上げます。